大塚家具の“父娘げんか”その真相とは!?

大塚勝久氏

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大塚勝久氏

大塚家具の創業者である大塚勝久氏は、埼玉県春日部市に桐箪笥職人を父に持つ家に生まれ、生まれたときから家具とともに生きてきました。

25歳(1969年)で独立し、この年の3月に会社「大塚家具センター」を設立、4月に春日部駅の西側に1号店を開店して以来、リーマンショックまでの約40年間は一度も赤字にすることなく、順調に事業を拡大してきました。

2015年3月の株主総会では、大塚久美子社長と大塚勝久前会長の委任状争奪戦が繰り広げられ、経営権を争う「父娘げんか」が世間の注目を集めました。

結果的に大塚勝久氏は大塚家具を去り、2015年に新会社匠大塚を立ち上げ、70歳を過ぎての「第2の創業」に挑んでいます。

一方、長女の久美子さんが社長を務める大塚家具は、2016年末決算では売上高を対前年比で20%も減らすなど苦戦を強いられていて、順調な経営とはいえないようです。

久美子社長が率いる大塚家具が苦戦している理由については、『匠大塚の家具は、ニトリ、イケヤと何が違うのか考えてみました!』を参考にして頂きたいと思います。

勝久氏の子供達

勝久氏夫婦には5人の子どもがおり、いずれもが自慢の子だったようです。

ちなみに久美子社長は一橋大学経済学部卒業です。

そして子どもたちの大学で専攻した学部を見ると、長女は経済、長男(匠大塚の勝之社長)は彫刻科、二女は法律、三女が芸術学部、次男が建築であり、誰もが「大塚家具のために役に立つだろう」と考えての選択だったようです。

子どもたちはそれぞれに、親から「自分を認めてもらおう」と思ってやっていたことですが、勝久氏はそれを積極に認めてあげようとしていなかったと、雑誌の対談で語っています。

このことは経営権の争いで、父親側に付いた勝之氏を除けば、他の兄弟姉妹は長女陣営に入り、家族を二分することの遠因になったかもしれません。

親交のあった知人は、「共働きの両親に代わり、次女以下の面倒を見てきたのが久美子さん。姉を“育ての親”だと感じている」と語っています。

しかしこれくらいのことは、共働きの両親に子供が5人もいれば、よくあることだと思います。

父娘げんかの本当の原因

当初は「長男が跡を取るのだろう」ということで、長男に資産管理会社の株の半分を持たせていました。

しかし、資本と経営の分離を考えればこうした状態がよいわけではなく、実際、他の子どもたちからも異論が出たので株を均等に分けることにしたそうです。

長男は不満だったかもしれないが、将来の事業経営を考えれば兄弟姉妹が株を均等に持つことが、大塚家や大塚家具にとって最良の方策なのだと納得してもらったそうです。

その際、妻の千代子さんには株を配分していませんでした。

つまり5人の子どもたちが19%ぐらいずつ株を持つ形にしたのです。

戦国時代から江戸時代の武家、もしくは現代まで続く商家などでは、嫡男が家を相続した場合、男の兄弟は嫡男の家来になるか、別の道に進んで家を出ます。

女の姉妹が相続する場合は婿を取り、他の姉妹は嫁に行って家を出ます。

いずれにしても、その家の財産を相続するのは子供の中で一人です。

ちなみに、鎌倉時代は親の財産を兄弟で均等に分割して相続していました。

しかしこれでは、代を経るとどの家も財産がねずみ算式に減って、それそれ没落してしまうので、後に相続者を子供の中の1人に限定する方法が主流になったそうです。

大塚家具においても、株を子供達に均等に分け与え、兄弟姉妹がそれぞれ力を得たことが、後に勝久氏や長男の役員解任につながったといえるでしょう。

もし株をそのまま長男に半分持たせていたら、勝久氏が築いた経営方針は変わらず、大塚家具は業績を維持していたはずです。

現時点で久美子さんの「大塚家具」は苦戦していますので、経営方針の変更は間違っていたと判断されてもしかたありません。

久美子さんの気持

久美子さんは長女で頭もよく、しかも美人です。

おそらく一つ下の長男(匠大塚の勝之社長)より優秀で、自分の方が後継者にふさわしいと自負していたと思います。

単に女だからという理由で家業を相続できないことにいらだち、クーデターで会社を奪い、親と違うやり方で、実力を証明しようとしているようにも見えます。

多くの人が指摘しているように、「大塚家具」は先代が築いた競争相手がいない一人勝ちの業界をもともと持っていたのですから、どうか原点に返って経営を立て直して頂きたいと、切に願っております。

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